ハウステンボスに春を告げる花、チューリップ。色や形は実にさまざま。そのなかで近年、高い人気を呼んでいるのが「ハウステンボス」という名のチューリップです。
街の名をもつ花があれば・・・
チューリップの形ですぐ思い浮かぶのは、ワイングラスに切り込みを入れたようなもの。ところが、バラのように花びらがたくさんつく「八重咲き」というものがあったり、ユリのように花びらが反り返って咲く「ユリ咲き」というものがあったりと、種類は実にさまざま。
チューリップの本場で、世界最大の球根生産・輸出国であるオランダの王立球根生産者協会が1996年に発行した「チューリップ品種の分類と国際リスト」によれば、なんと5600品種ものチューリップが記載されています。
品種改良はいまも続けられており、将来はさらに種類が増えることが予想されますが、その新しい品種のなかで高い人気を誇るものがあります。2000年に登場した「ハウステンボス」です。
もともとはオランダの育種家が23年以上もかけて改良を重ねてつくった無名の品種。ハウステンボスでは、2000年に迎える日蘭交流400周年に向けて「ハウステンボス」という名前のチューリップができたらいいねという社のトップの想いから、王立オランダ球根組合(KAVB)に登録前の品種を調べていたところだったのですが、ちょうど「フリンジ咲き」のこの品種が目に留まりました。
「フリンジ咲き」とは花びらの先がフリルのように細かく切れ込みが入ったもので、選ばれた品種は「ファンシーフリル」と「ヨハン・グーテンベルグ(=写真右)」という「フリンジ咲き」をかけあわせて作られていました。
さっそく20球程度を試験栽培する運びになったのです。花が開いたその姿は可愛らしく気品も備わったものでした。これはハウステンボスにふさわしいということになり、1999年6月、オランダ球根組合に「ハウステンボス」という名前で正式に登録。2000年春の「チューリップ祭」で、無事、デビューを果しました。
世界に羽ばたいたハウステンボス
けれど最初のお披露目は少々、寂しいものでした。ギヤマンミュージアム前の花時計やフラワーポットに3000本を植えたのですが、報道陣向けにひと足先に公開した時はわずか3輪しか咲かなかったのです。
「球根を手に入れたものの、栽培データがなかったので、開花時期の調整に苦労しましてね」
そう話すのは、「ハウステンボス」を導入当初から手がけている園芸会社の政木登さん。「貴重な品種ということで、あのころはハウスのなかに『ハウステンボス』専用のハウスを二重に作って、特別扱いしていましたよ」
花が難しいのは、単純に早く咲かせればいいというものではないことです。「チューリップ祭」では会期終了まで花を見せ続けるために、期間中4回の植え替えが必要なのですが、その間、品種の特性を見ながらハウスでの生育管理などに細かく心を配り、開花時期を計算。その際、「ハウステンボス」といった初めての品種には試行錯誤がつきものとなります。
そうこうするうちに「ハウステンボス」の球根栽培技術も向上しました。オランダの切花生産者の協力を得て、球根を栽培ポットに植えたまま冷蔵し開花期を遅らせる「アイスチューリップ」という技術を導入したのです。
「おかげで開花期の計算ができるようになり、ずいぶん助かっています」
そんな経験のなか、〝収穫〟だったことがあります。「ハウステンボス」が意外に丈夫で寒さに強いうえ、花が長持ちすることがわかったのです。見た目の美しさに加えて、この性質のよさ。新しい品種のなかでは〝当たり〟だったわけです。おまけにある調査では人気投票で1位に輝き、切り花市場でもひっぱりだこだといいます。
ということは、「ハウステンボス」はこの街だけの独占販売ではなかったということ。実は登録当初、5年間は確かにハウステンボスのみに販売権がありましたが、6年目からは広く海外までにも市場が解放されて、自由に販売が認められました。「ハウステンボス」はすでに世界へ大きく羽ばたいていたのです。
さて、この街では今春、1万5000本の「ハウステンボス」がマルシェ・ド・パラディを中心として街角を彩る予定。政木さんの会社のハウスでは第1陣がつぼみをつけて、いまかいまかと出番を待っています。
そして、待っているのはチューリップファンも同じ。つぼみに合わせ、胸の方も期待でふくらむばかりではないでしょうか。